4/22 征服欲と共有欲
内容Contents
なんでもかんでも
「自分、自分」の自分中心人生もどうかと思うけれど
なんでもかんでも
「相手中心」思考もどうかと思う
今日は友人である「恋活プロデューサーのうさこさん」のブログから、興味津々のお話を抜粋します。
今週金曜日26日19時から
というセミナーが彼女主催で開催されます。
講師は「青山華子先生」
今回のセミナーでは
もう1冊のこちらから
こう書いてあるそうです。
「なんでも共有することが愛ではない
愛とは、すべてを許し、相手をうけいれることなのか?
愛とは、つねに相手と一緒にいることなのか?
愛とは、つねに相手と向き合いいつもふたりで歩むことなのか?
・・・ 答えは否。
「愛」とは本来もっと自由な形。
なんでも共有することが「愛」じゃない。
絆とは、一緒にいるとき‘だけ‘形成されるものとは限らない。
離れることによって、より絆が強くなることもある。」
お互いが自分の思い通りの相手でいて欲しいと希み、
それを知らず知らずに強要させ
相手も、それを我慢し受け入れることが愛だと思っているうちにストレスがたまっていく・・・


そんな小さな積み重ねなのでしょう。
お客様や、私の友人たちの話からも、こういった様々な話は聞きます。
・相手の携帯電話を勝手にチェックする(征服欲・疑心)
・いつ帰ってくるのか、普段何をしているのか分からない彼が家に来てくれるのを待っている(全てを受け入れ許す?)
・休みの日はいつも一緒じゃないと気が済まない(共有欲)
(相手も同じ思いならいいですけどね)
・相手の行動を毎日理解していないと不安(征服欲)
・旦那とは、妻とはこうあるべき。という自分の価値観を相手に求めすぎる(共有欲)
こんな話も聞いた。
「あんなに尽くしてすごい愛情を注いでいたのに、浮気されていたんです。
結局その浮気相手と彼結婚したんですよ~」
好きで好きで仕方ないのかもしれないけれど、
相手が求めていない事までやり過ぎることは、相手の重荷にもなり、結果もっと楽なところに去って行ってしまう。
征服欲と共有欲は、
「愛では無く、執着です」とあります。
自分の想いを相手に押し付けていたのでは?
自分は自分、相手は相手。が出来ていなかったのでは?
私の周りで夫婦関係が良い人たちは、各々が自分の仕事や趣味をきちんと持ち、それにいちいち干渉しないし、相手のそこに自分も入り込もうとしない。
相手に興味が無いのではなく
お互いを尊重し、認めているし、信じている
そして、二人の時間の合う時、ゆっくり二人の時を過ごしている。
まさに、何かを共有したり、征服したりしていない。
なるほどね~。と納得。
改めて
自分自身の胸に手を置いて考えたい
もっと詳しく、本当の話は先生から聞きましょう。
4月26日(金)19:0.0~
ぜひお時間のある方は行ってみる価値あると思う!!